多様性の論理矛盾!撃っていいのは撃たれる覚悟のある者だけ!

LGBT、セクシュアル・マイノリティに

関する議論で、性的指向・性自認という、

いわゆるSOGIについて考えるときに、

性別は男か女だけではないにしても、

社会が「男なら〇〇」・「女なら〇〇」

という固定観念で溢れているので、

SOGIのみを議論すればよいというものでも

ないのが現実です。

 

 

そして、ジェンダーの話になると、

以前の記事でも触れたことがあるように、

バカマッチョ、カメリアコンプレックスによる印象操作ってマジ迷惑行為だと思う!

2019年7月20日

 

「日本が男尊女卑」という昔ながらの認識

がある一方で、

私のように「表沙汰になっていない

女尊男卑が蔓延している」という認識も

あるのです。

 

 

 

この記事でどちらが正解かなどの結論づけ

をするわけではありませんが、

そもそも対極にある考えの向き合い方に

おける変な風潮や、

多様性・寛容性などを重視しておきながら

普通に起こっているブーメラン現象等に

ついて、私なりに普段はあえて言わない

ことも洗いざらいぶっちゃけていきます。

 

 

 

 

 

 

1.あなたに「反対意見を認めない人は成長できない」って言える筋合いあるの?

多様性ある社会にするには、

反対意見を受け入れる姿勢が大事なのは

言うまでもありません。

 

 

でも、自分と相反するものにボロクソに

人格攻撃をする一方で、

自分側の主張となれば、

「反対意見を認めない人は成長できない」

って言ってふんぞり返るのは、そもそも

議論とマウンティングの区別が

ついていない

ものです。

 

世の中このようなタイプって割といるものです。

 

 

まず、議論は互いに敵意を持っていない

フィールドの前提でやるもので、

そうでなければ平行線になるものです。

 

「朝まで生テレビ」の田原総一郎のように

煽る気に溢れた状態でまともな議論はできません

からねぇ。

 

 

 

 

 

 

両者の意見を尊重し合うことなくして

生産的な議論などできるはずもなく、

ひとつひとつの揚げ足取りは、

議論ではなくマウンティングです。

 

 

まぁ所詮相手に惨めな思いをさせて

やりたかったり、引き摺り下ろして

やりたいといった、稚拙なメンタリズムを

「議論」という言葉で正当化しているのに

すぎません。

 

 

自分が他人の意見に物凄く感情的になって

当たり散らす割に、相手に冷静な対応を

求めてるのっておかしいですよねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

「けんか腰にものを言われてもそれを素直に

聞き入れろ」って

無茶振りも甚だしいじゃないですか…

 

 

その意味で最初から議論する気がない方に

該当するのは、多くの場合、

批判的意見をぶつけてくる側であって、

ぶつけられた側ではありません。

 

発散そのものが目的となって、

さらに本人もそれに無自覚なものです。

 

 

そういう人には、せめて少しは

撃っていいのは、

撃たれる覚悟のある者だけ

という意識をもっていただきたいもの

です。

 

 

そして、多様性ある社会の前提には、

人それぞれ価値観があって、

自分に「都合悪い意見を排除」している

のではなく、

あくまで自分に「関係ない意見を排除」

しているのにすぎないのです。

 

 

何にでも寛容であれとまでいかなくても、

耳が痛い話も受け入れ、自分の思考や習慣

を誰かにブラッシュアップしてもらって、

知見・見識などが広がっていくものです。

 

 

お腹が空いたら反射的に「ミルク飲ませろ!」と

言ってオギャーと泣いて周りにアピールする、

赤ちゃんのようなまんまで

本当の成長ができるわけがありません。

 

 

 

 

 

 

また、多様性・寛容性などを主張する割に

「臭い物に蓋をする」旨がうかがえそうな

思想弾圧のような風潮って、

正に議論ぶったマウンティング人間が

引き起こしているものだと

個人的に思います。

 

 

 

 

 

 

 

そして、その場面においても、

ブーメランが飛び回っているものです。

 

 

2.人間なんて完璧ではないから矛盾はある、だとしても…

ブーメランとは、自分が投げた言葉が

自分に刺さって自己矛盾に陥る現象を

いいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とはいえ、人間は不完全なもので、

本来矛盾した生き物ですが、

ブーメランの投げまくりも内容次第では、

品位を落とすだけでなく、

気づかぬうちに誰かを傷つけるものです。

 

 

その意味で鳴らすべき警鐘の一例には、

「生産性」が挙げられます。

 

少し前に話題になった、杉田水脈議員の

発言や論文のことです。

 

 

セクシュアル・マイノリティの問題以前に人の命を

生産性や生産のための道具ともとれるといった感じ

で、様々な抗議の声があげられました。

 

 

ただ、LGBTの当事者でも、労働・納税や

扶養家族がいることなどの理由で、

「我々も(セクシュアル・マジョリティ

と)何ら変わらず、生産性はある」

といった、結局杉田水脈の次元と

大して変わらないことの無自覚さも

あります。

 

 

まぁ人権侵害系の話で難があるのは、そもそもの

お品書きがおかしいことが多いので、

書かれていない前提に視点を置くことも重要です。

 

よくよく考えてみれば、異性愛のカップルにも

暗に子どもを産む機械みたいな役割の押付っていう

話題が、全然出ませんでしたねぇ。

 

 

また、多様性を認めていくことについて、

「日本はこの先人口減少によりますます

衰退が進んでいき、国力維持のためにも

人口の多様性を広げていくことが重要」

だとする考え方もあり、

生産性問題で抗議の声をあげていた立場の

者でも、別の場面では、割とこのような

発言をされることがあります。

 

 

実際、「国力維持」と「生産性」は

同義ではないものの、直結したフレーズ

ですが、割とそのブーメランにも無自覚

だったりします。

 

 

まぁこれは、単に人間の認知バイアス

(実績がある偉い人の話は正しいと思って

しまう、いわゆるハロー効果)ですねぇ。

 

まぁ多様性と国力維持の関係性の主張自体は、

私も共感しています。

 

 

また、様々なジャンルのマイノリティの

コミュニティにおいていえることなの

ですが、

情報共有できる仲間の数に制限があると

いう思い込みから、そのコミュニティ

から離れてしまうと自分が悪い方向にいく

のではないかといった感じで未来が

みえなくなることがあります。

 

そのような環境で教祖と信者のような

構図ができることも珍しくないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分が何かに行き詰まったり、

思い悩んでいるときって、本当に誰かに

支えてもらうっていうのは大事なこと

ですが、他人に自分の脳みそを預ける

ような状態になるのは本当に危険です。

 

いわゆる思考停止の状態です。

 

 

そして、教祖がブーメランを投げても

信者には見えない現象が起きてしまうの

です。

 

 

また、一つのイデオロギーに

染め上げられすぎてしまって、

社会の変化に対して、自分の時間だけが

止まってしまう危険もあるのです

(浦島太郎化)。

 

 

 

 

 

 

 

 

3.まとめ

いかがだったでしょうか。

 

「自分らしさ」についての一例ですが、

「LGBTの家族と友人をつなぐ会」の

ロゴには四つ葉のクローバーが

使用されていて、PFLAG(アメリカの

LGBTに関する自助団体)の

ニュースレターに掲載されていた、

ある母親の詩歌への共感から

「自分らしさ」を大事にする意味合いが

あります。

 

 

 

 

 

 

 

「私たちのほとんどは、普通に見過ごされて

しまう、三つ葉のクローバーのような存在です

が、その中に、時折四つ葉のクローバーのような

人が存在します。

四つ葉のクローバーは珍しく、私も子どもの頃

何時間もかけて探したものです。たまに見つめる

と、押し葉にして、宝物として大切にとって

おきました。

…ただ、珍しくて、大勢とは違っているだけ

です。

私は、それから葉を一枚もぎとって三つ葉の

クローバーに見せかけたとは

決して思いません。」

 

 

多様性ある社会にしていくためには、

様々な人間が存在することの前提はいう

までもありません。

 

 

人間の自分らしさの集大成が多様性という

本質が真面に分かる社会になることが、

私の願いです。

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