承認欲求を捨てられれば…とはいえ簡単じゃないからこそ…

LGBT、SOGI、性的少数派

(セクシュアル・マイノリティ)の人権に

関して、啓発、普及、社会環境の見直し

など、

日々様々な取組みが進んでいますが、

当事者・非当事者間で生じる問題ばかり

ではありません。

 

 

LGBTについて講演活動を行う関連で、

「人権講師にならないか」と、

高額セミナーに誘われ生じた、

金銭トラブルのように、

当事者が当事者を食い物にする悪質商法の

事例があります。

 

これには、当事者の弱みにつけ込む

悪質商法と批判がありましたが、

私は、ここにいう「弱み」の根本的な要素

は、「承認欲求の飢え」がその一つだと

思います。

 

 

ここで、飢えているから満たしておく

というわけではなく、そもそも本当に幸せ

に生きるためには、究極的にいうと、

『嫌われる勇気』(アドラー心理学)にも

あるように、承認欲求を捨てることに

あります。

 

そして、そのために課題を分離する

そうです。

 

 

 

 

 

 

 

このようなことをいきなりいわれても

ピンとくるわけでもないですし、

「アドラー心理学」というと、

一時期意識高い系がSNSで

自分の精神ステージをマウントする目的で

投稿することが多かったものという

イメージがあるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

では、承認欲求を否定する理由と、

そのための課題の分離とは、

何なのでしょうか。

 

 

1.承認欲求を捨てた方が良い理由とは…

アドラー心理学でいう、承認欲求を否定

するのは、幸せに生きるためには、

誰かの期待に答えてはいけないということ

です。

 

誰かの期待に答えるのではなく、

ただひたすらに他者貢献をすることで

幸せを感じていこうとするスタンスです。

 

 

そのために行う、課題の分離とは、

自分と課題と他者の課題を分離し、自分は

他者の課題に踏み込まないと同時に、

他者には自分の課題に踏み込ませない

ようにすることです。

 

 

 

 

 

ここにいう課題は、非常に意味する範囲が広く、

人生で直面するありとあらゆるタスクをいいます。

 

 

そして、自分の課題と他者の課題を分離

するには、その間の線引きが必要となり、

線引きの基準は、

「最終的な責任を負うのは誰か」、

「最終的な結論を出すのは誰か」という

ことです。

 

 

例えば、自分に対する他者の評価が気になる場面を

想定すると、他者が自分をどう評価するかは、

あくまで他者の課題です。

 

これは、どのような評価を下すかという

最終的な結論を出すのが、他者だからです。

 

なので、もし自分の課題と他者の課題の分離が

できていれば、他人の評価を気にすることが

ありません。

 

 

そして、対人関係で問題が生じるのは、

自分の課題と他者の課題の分離が

できない者どうしの出くわし、

つまり、自分が他者の課題に踏み込んだ時

又は自分の課題に他者を踏み込ませて

しまった時なのです。

 

 

また、課題の分離ができていないことは、

対人関係の悩みだけではなく、自分が

承認欲求に支配されてしまうのです。

 

これは、承認欲求が他者に自分を認めてもらいたい

欲求であれど、他者が自分を認めるかどうか自体が

他者の課題なので、自分でコントロールできるもの

ではないからです。

 

承認欲求にこだわり続けることで、

いつの間にか、他人のために生きている

人生となるのです。

 

 

ということは、自分の人生を生きるために

承認欲求を捨てるという考えなのです。

 

 

ここで、承認欲求を捨て、課題の分離って

口では簡単に言えども、そんなに容易い

ものではないのではという

疑問が浮かびそうですが、その通りです。

 

 

では、何がそれを難しくさせているのでしょうか。

 

 

2.本能と環境が乱してくる!

まず、これをいうと元も子もない話に

なりそうですが、

承認欲求は人間の本能なのです。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも人間は、群れをつくって何万年も生きて

きており、誰かに依存せずにはいられない

(承認欲求を持たずにはいられない)脳のつくりに

なっています。

 

 

 

 

 

 

 

これは、人から嫌われることにすごく恐れてしまう

本能を持っているのです。

 

現代社会では安全に暮らせる環境になっています

が、大昔は人間ひとりで出歩いていれば、

猛獣に食べられたり、食べ物を得られず餓死するなど

の危険性がありました。

 

 

 

 

 

 

 

なので、嫌われて仲間外れになるということが

命の危険に晒されるという認識を潜在的に持って

しまうのです。

 

 

このプロセスから、現代の人間も、

人に嫌われるのが怖い、承認されたいと

いう本能が残っています。

 

 

さらに、承認欲求が人間の本能として

刷り込まれていることに加えて、

幼少期からの家庭環境が、

「課題の分離」の難易度に大きく影響を

与えています。

 

 

幼少期から10代の親の教育や家庭環境が、

依存気質の度合いに影響します。

 

 

課題の分離が難しい人ほど、

どうしても嫌なことがあったり、人間関係

で良くないことがあると、

そのことが頭の中を支配してしまい、

前向きに考えられなくなってしまう傾向が

あります。

 

 

幼少期からの親の過干渉などの理由で、

自分に自信が持てなかったり、他力本願の要素が

強かったり、真面目すぎたりするような特徴が、

いわゆるアダルトチルドレンにみられる傾向が

あり、課題の分離が難しいというのは珍しいこと

ではありません。

 

 

 

 

 

 

もちろん、程度問題もあるので、明確で絶対的な

線引きがあるわけではありません。

 

 

では、承認欲求が人間の本能である以上、

それを捨てること自体ハードルが高く、

幼少期の家庭環境などの事情も考慮する

と、課題の分離が難しいのに、

どう対処していけばよいのでしょうか。

 

 

3.依存は排除できないが、分散はできる!

人間である以上、承認欲求を捨てようと

しても、完全になくすことはできません。

 

つまり、「依存」は残ります。

 

 

とはいえ、依存があることが問題では

なく、依存先の数が問題となります。

 

 

依存先の数を意図的にでも増やすことが、

割と「課題の分離」をしやすくして

くれます。

 

 

一つのことだけへの依存度が高いと、

そことの関係だけで一喜一憂して

しまいます。

 

 

 

 

 

 

例えば、パートナーだけに依存すると、

その相手のことだけを考えてしまい、

相手の課題へ自分が踏み込んだり、

自分の課題を相手に踏み込ませたり

しやすくなるので、課題の分離をより困難

にしてしまいます。

 

 

一つのことに集中することが一見良いこと

のように思えそうなのですが、

「これがないと生きていけない」といった

心理状態では、人は自分で考えることを

放棄しがちになってしまいます。

 

 

そして、依存先を増やす方法として、

良策なのが、他者と関わることができる

趣味をいくつか増やし、それなりに没頭

できるようにしておくことです。

 

他者との関わりにこだわるのは、

読書や映画鑑賞などのような一人で

自己完結できるものより、

他者と関わることで、そのコミュニティ

などによって適切な依存関係を持つことが

できるからです。

 

 

 

 

 

 

この趣味においては、月1回程度の頻度

からはじめられるものであって、

自分にとって嫌なものでなければ何でも

良いでしょう。

 

ちなみに、ギャンブルなどのような射幸心を煽る

ようなものは、強烈な依存を生み出してしまう

ので、趣味に選ばない方がいいです。

 

 

 

 

 

 

4.まとめ

いかがだったでしょうか。

 

承認欲求を捨てるために課題を分離する

のは、簡単ではありませんが、依存先を

増やすことでやりやすくはなります。

 

 

一つのことへの集中は、課題の分離を困難

にするだけではなく、以前の記事でも

触れたことがあるように、

多様性の論理矛盾!撃っていいのは撃たれる覚悟のある者だけ!

2019年9月19日

 

教祖と信者のような構図によって、他者に

自分の脳みそを預け、考えることを放棄

しがちになる危険性もあるので、注意が

必要です。

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