10代の若手行司へのセクハラ行為で
問題となった、
大相撲の立行司の式守伊之助さんに
ついて、メディアで話題になりました。
事件は、冬巡業中の沖縄で、未成年の若手行司に
対し数回キスをしたり、胸を触ったりするなどの
行為に及んでいます。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/セクハラ-300x157.jpg)
被害者の行司は、ショックは受けているものの、
被害届を出す意向はなかったとのこと。
しかしながら、この事件は、
「セクハラ」という報じられ方ですが、
強制わいせつの可能性もある犯罪と
いえます。
なので、セクハラというような
軽い言い方で片づけることが
おかしいですよねぇ。
酒席での不祥事であり、
行司の最高位という責任者の地位であろう
者が、大きな顰蹙を買っています。
また、相手は未成年であり、
職務上部下に当たる立場の弱い者に対して
なされた卑劣な行為です。
ただ、この事件には、もっと根深いものがあると
思います。
1.酒癖の悪さの常習性の件
本人は、「泥酔していたので覚えて
いない」との発言をしています。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/泥酔-300x201.jpg)
とはいえ、酒の上でのことだから
いいだろうというような
逃げ方・言い訳は、許されるものでは
ありません。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2017/09/反逆-300x150.jpg)
本人の所属部屋の宮城野親方は、
「酒を飲むと正気を失うことがあった」と述べて
いることから、本人は過去に何度も酒の上での
不始末を行っています。
とすれば、分別ある大人であれば、
酒を止め自らの行動を慎むのが当然で
あり、それができないとすれば
アルコール依存症といえる部分も
あり得ますよねぇ。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/アルコール依存症.jpg)
WHO(世界保健機関)によるアルコール依存症の
診断基準には、
「飲酒の開始、終了、あるいは飲酒量に関して
行動を統制することが困難」・
「明らかに有害な結果が起きているにも
かかわらず飲酒する」
という項目があります。
よって、親方の証言が事実であれば、
本人がアルコール依存症の可能性は十分に
あります。
ということは、今回の事件を起こす前に、
本人の責任として、治療を行う必要が
あったといえます。
酩酊状態で起こした事件であっても、
「原因において自由な行為」であり、
責任があるのです。
また、アルコール依存症の可能性以外にも問題が
あります。
2.セクシュアリティへの論点のすり替えでは…
本人は、「自分は男色の趣味がないので、
なぜこのような行為をしたのか
分からない」と釈明しました。
ここにいう男色というのは、
本来、趣味の領域ではなく、
性的指向・生き方の領域です。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/性的指向.jpg)
現在、性的指向の多様性や
セクシュアル・マイノリティ(LGBT)の方々の
人権に関する意識が高まりつつありますが、
このように時代遅れの意識を持っていることを
露見させたといえるでしょう。
このようにセクシュアリティの問題に
しようとしてますが、これではさも、
「男色の趣味があれば、このような行為を
した」と説明がつくと
言わんばかりの釈明です。
本人の供述に関して、
タレントのIKKOさんは、
「何をおっしゃりたいのか」、
「聞いたときショックだった」と
不快感を露わにしました。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/IKKO.jpg)
もちろん、テレビとはいえ、その言葉背負い投げの
笑い要素は、そこにはもう一切ない状態です。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/背負い投げ.jpg)
未成年の子にショックを与えたことが問題
になっているのに、このような弁明では、
「同性愛の方なら未成年に対しこのような
行為をすることがあっても自然だ」
という誤解を与えかねない発言です。
本人は、事件を起こしたことよりも、
同性愛者として見られることに屈辱的な
思いを抱いていると思わざるを得ない
ような発言から、
同性愛者に対する差別意識が透けて見える
ように思えます。
3.まとめ
いかがだったでしょうか。
今回の事件で、角界の旧態依然とした
人権意識の低さが見えたといっても
過言ではないといえるのでは
ないでしょうか。
同性愛・異性愛など関係なく、
分別ある大人であれば、
他者の身体に同意なくして
一方的に触れたり、性的な振る舞いを
したりはしないでしょう。
セクシュアリティは、今回の事件とは
論点にもなるはずがないのです。
性的指向・性自認などに関する
認識の低さ・甘さ・時代遅れは、
この先もどこかの業界で露呈することは
十分にあり得るという懸念が残る
今日この頃です。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/01/心配.jpg)
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