2019年2月~3月に、複数の
同性カップルが、同性同士の婚姻が
できないことが憲法に違反していると
して、東京地方裁判所など全国数か所の
地裁で国に損害賠償を求める訴訟を
起こします。
同性カップルが同性婚ができないことが
違憲であると国を提訴するのは、日本初と
なります。
違憲の理由を主張するにあたっては、
憲法24条に「両性の合意」と記されて
いても、同性婚を否定するものではない
こと以外にも、憲法13条・14条も根拠
とします。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2017/09/憲法-300x216.jpg)
憲法13条における主張は、人は幸福追求権に
基づいて自分のことを自分で決定できる、
いわゆる自己決定権が保証されるものであるのに、
婚姻をする・しない、いつ誰とするか、
相手が異性・同性関係なく、個人の決定に
委ねられるべき婚姻の自由を侵害しているという
内容です。
憲法14条における主張は、すべての国民が人種、
信条、性別、社会的身分又は門地によって
差別されることがあってはならず、
同性婚を認めないことが社会的身分と性別が
平等原則に違反するという内容です。
まず、性的指向は自らの意思で自由に
変えられないものから、社会的身分に該当
するという考え方です。
そして、性別についても、憲法制定時に
男性・女性を想定していたものの、人間の
性の在り方が多様になった現代社会では、
性的指向に基づく差別も性別による差別に
含めるべきという考え方です。
また、パートナーシップ証明という
登録パートナーシップ制度があることに
ついては、婚姻と同等の効力がなく、
異性カップルが受けられる法的な恩恵の
多くを受けられないこと自体も問題で
あり、仮に同等の効力がある制度になった
としても、制度が異なること自体が差別に
なるという考え方です。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2017/09/差別-300x199.jpg)
とはいえ、もし同性婚が認められれば、
当然同性カップルが法律上の婚姻をする
ことができますが、
制度上の可否の話であって、真に社会の
考え方や風潮までが一変することに
直結するわけではありません。
そこには、どんな溝があるのでしょうか。
1.主張する側は、オープンの当事者!
セクシュアル・マイノリティが抱える
諸問題について、色々理解を広げたり、
主張していく側は、いわゆる活動家の
ような立場が多く、セクシュアリティを
オープンにしている方です。
そして、カミングアウトをしている側の
意見を代表している形態になります。
ただ、セクシュアル・マイノリティの
当事者の中でも、オープン・クローゼット
の事情では、悩みや困りごとが違います。
全体の中でも、クローゼットの割合が多い
のも現状です。
例えば、パートナーシップ証明は、
証明書を取得しに行くことで周囲にバレて
しまう事態に敬遠してしまう当事者も
います。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2017/12/バレる.jpg)
特にパートナーシップ証明を採り入れて間もない
自治体では、1組目の取得者の取り上げをマスコミ
が狙っているので、1組目が取得するのを避け、
2、3番目の取得に先延ばしを考えることは
珍しくないのが事実です。
同性カップルが異性カップルと等しく権利
などを守れるように制度が発達すること
自体は良いのですが、
それを利用することに抵抗がないように、
長年蓄積されたイメージの払拭や環境・
思想・風潮などが変わらないと
本当の意味で制度が進んでいるとは
いえないと個人的には思います。
これは、同性カップルがマイホームを購入
する際に、共同でローンを組む、いわゆる
ペアローンの制度についても同様のことが
いえます。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2017/09/住宅ローン-1-300x167.jpg)
売主、不動産仲介業者、金融機関関係者
など、様々な人間が関与するからです。
また、自治体や企業によるLGBTに関する取り組み
はあるものの、それを良いことと捉える方もいれば、
当事者の望んでいないことをする
(そっとしておいて欲しい)と捉える方もいるのも
事実です。
2.カミングアウトをしやすいとは限らない!
日本では、セクシュアル・マイノリティに
関する取組みが進んではいるものの、
差別・偏見や不快感を持っている人が
いないとまではいえない実情があります。
欧米のようにあからさまな暴力を振るって
攻撃を受けるような事態は少ないのです
が、水面下にある偏見に基づく差別が
ある、いわば「見えない差別」が存在する
以上、セクシュアリティをカミングアウト
しやすくなってとは到底言え難いのです。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2019/01/少数派-300x225.jpg)
事情によりカミングアウトを避ける方や
まだカミングアウトをする段階ではないと
考えられている方など、様々います。
カミングアウトして生きることよりも
大切にしたい現状があるからこそ隠したい
わけで、家庭・職場・学校などにおける
居場所は、本来誰にも奪われることは
あってはなりません。
セクシュアル・マイノリティを取り巻く
社会情勢は、日々変化していくものの、
理解される土壌ができているから誰の目も
気にすることなく、制度が利用しやすい
という意味にはなっていないのが現状
です。
例えば、同性婚が法的に認められる、又は
同性カップルも結婚に相当する関係と扱う制度が
促進したとしても、
職場の福利厚生における家族手当、結婚手当、
配偶者親族の逝去のための慶弔休暇の制度の恩恵を
受けることや、
転勤に関する配慮の際に基準となる「家族」・
「婚姻関係」を考慮してもらうことに、
当事者ごとに差が生じてしまうことに繋がります。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2019/01/福利厚生-300x169.jpg)
3.まとめ
いかがだったでしょうか。
日本で同性婚が法的に認められるように
なったとしても、その時分に諸外国の
ように、街中で同性カップルが手を繋いで
歩いていることがごく自然な風景だと認識
できる環境に近づいていないと、制度促進
だけが一人歩きしていることになります。
![](http://amethysthoumu.com/wp-content/uploads/2018/02/同性カップル-300x168.jpg)
また、個人的には、理解・関心までもが
なくても、良い意味で「所詮人それぞれ」
と受け流せる環境になっていれば、
セクシュアリティを超えて全員が
生きやすい社会の実現ができるのではない
かと思います。
コメントを残す