「性の目覚め」を健全と捉えるのが、性の多様性というわけではない!

LGBTの話題では、性の多様性の理解促進

などが挙げられ、性的指向・性自認・

性表現は、個人の尊厳にかかわることで、

誰もが自分のセクシュアリティを尊重

され、自分らしく生きられることが重要視

されています。

 

 

当事者の方々が性的指向・性自認に

気が付くのが小学校・中学校の頃が多い

ことを踏まえると、学校教育でも、

セクシュアル・マイノリティのテーマと

切っても切り離せないものといえます。

 

 

 

 

 

 

保健体育の教科書でも、異性愛が普通で

あるかのような記され方が問題となって

います。

 

ただ、同性に惹かれる人の存在を可視化

すればいいというわけではありません。

 

 

人間の異性愛・同性愛を包括的に

「性の目覚め」の方向性だけの話で完結

できることではありません

 

 

以前に武田鉄矢さんがワイドナショーで

「酒鬼薔薇聖斗」について言及する際に、

性の目覚め(エロスとの出会い)の視点

から独自の持論展開がありました。

 

 

 

 

 

 

大元のテーマは、神戸連続児童殺傷事件の

加害者たる元少年Aが出版した手記「絶歌」

が、被害者遺族を苦しめていることを

踏まえて発売中止・回収をすべきなのでは

ということであり、手記出版への批判が

強まりました。

 

 

しかしながら、武田さんは加害者を批判

するのではなく、かつて凄惨な事件を

引き起こした加害者が30代を迎え、何を

考えているのかを知ることで、現在もある

少年犯罪を紐解く上での貴重な例となるの

ではないかという、独自の持論を展開して

いきました。

 

 

1.エロスとタナトスのどちらに出会うかで…

武田さんがワイドナショーで述べていた

内容には、酒鬼薔薇聖斗という少年が

性の目覚めが遅かったことが挙げられて

いました。

 

 

性の目覚めをエロスとの遭遇と表現し、

エロスに遭遇しないとタナトス(死へ

向かおうとする欲動)に惹かれるという

表現でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにいうタナトスという言葉は、

ジークムント・フロイトの提唱した精神分析学の

用語で、死の神であるタナトスの神話に由来

します。

 

 

 

 

 

 

 

 

エロスが訪れないとタナトスに魅了されて

死の方へ寄っていくことが、人間の命の

在り方の一つであるということでした。

 

 

思春期に、エロスとの出会いによって死と

目を合わせたくなくなり、タナトスの方に

惹かれると死の方へ飲み込まれていく

ということから、

男の子で女性の肉体に興味を持つ、

アイドルを追っかけまわすなどの現象が

あれば、親御さんの立場から十分安心

できるものだということです。

 

 

 

 

 

 

そして、少年は猥雑な環境の中で学んで

いくものであり、清潔の中では成長

できないということでした。

 

これが、泥の田んぼの中で稲が育つのと同じで、

泥でないと根をはれないのであって、

酒鬼薔薇聖斗はいわばワサビ田のような清流で

育ったようなものという表現でした。

 

 

なので、例えば、男の子でセクシュアリティがゲイ

であれば、部屋の掃除をしていても

エロ本が出てこない・ゲイ雑誌が出てきたなどの

現象は、興味の対象が異性・同性だけの違いであり、

性の目覚めをクリアしているということになります。

 

 

ただ、この理屈をもって親御さんたちの

安心材料や、性の多様性の理解を深める

というのは、違う気がします。

 

 

2.性の目覚めがないことをサイコパスへの結びつきに表現するのは…

武田さんが、エロスとの出会い・タナトス

への魅了について、「性の目覚めが遅い

から勉強に集中できる」、「優秀な成績の

人の危険さはそこにある」という表現に、

性の目覚めの遅さ・なさがサイコパス

なるニュアンスがありました。

 

 

 

 

 

 

 

これに対しては、世論としては、

勉強のできる人への怨みや単なる劣等感

だろう、早すぎる性体験は知能の発育を

止めるので、この意見を鵜呑みにして

いたらエロにしか関心のないバカばかりの

国になるなど、批判的な意見が

ありました。

 

 

意外にも、性的欲求を持たない

無性愛(アセクシュアル)・

非性愛(ノンセクシュアル)の当事者に

とってサイコパス性のスティグマとなる

問題が起こりそうでしたが、

そこまでには至りませんでした。

 

 

まぁこれに関していえば、

セクシュアル・マイノリティの中で、

L(レズビアン)、G(ゲイ)、

B(バイセクシュアル)、

T(トランスジェンダー)の4つの当事者が多く、

性的欲求があることを前提としているのが大半

なので、そもそもの数の都合上そのような

クレーム騒ぎが浮上していなかったのではないかと、

私は個人的に思います。

 

 

3.まとめ

いかがだったでしょうか。

 

学校教育の現場においても、人間が異性を

好きになることの前提を崩し、同性を好き

になることも尊重されるセクシュアリティ

であることを教えることは大事ですが、

そこだけにとどまらず、恋愛感情・

性的欲求を持つか持たないかの次元の話

や、好きを指す「Love」と「Like」の

定義も個々に違うという内容に触れること

も重要だと思います。

 

 

もちろん、サイコパスを「ヤバい奴」で

片づけるのではなく、人間の適応の多様性

について触れることも大切ですねぇ。

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