女子大学の存在意義の見直し!共学化議論って本当に悪なのか?

お茶の水女子大学は、

戸籍上は男性でも自身の性別が女性だと

認識しているトランスジェンダーの学生を

2020年度から受け入れる方針を

明らかにしています。

 

これは、2020年開催の

東京オリンピック・パラリンピックのこと

もあり、性自認に関する人権意識の現れ

です。

 

 

 

 

 

 

また、お茶の水女子大学は奈良女子大学とともに

国内に二校しかない国立女子大学であり、

この決定は私立女子大学も含めて

初めてのケースとして注目されています。

 

 

現時点でお茶の水大学側のいう、

トランスジェンダーの学生は、

「戸籍又はパスポート上の男性で

あっても女性である人」と

定義されています。

 

 

多様性を包摂する社会への対応として

ごく普通の流れとして、これから波及する

ための第一歩ではないでしょうか。

 

 

とはいえ、

性自認の概念を重要視する以上、

診断書の提出は絶対条件でなく、

自己申告の場合も予定していますが、

受験資格の線引きの曖昧さが

課題に残っています。

 

 

そして、文部科学省は、性の多様性を

推進していく上で、お茶の水大学の方針

に積極的な姿勢があるにもかかわらず、

内部では、男女共学化議論に繋がること

への危機意識みたいな声もあるのです。

 

 

まず女子大学は、かつて大学に進学する

のがほとんど男性だけだった時代に、

女性にも高い教育を受ける機会を

与えようということで生まれた背景が

あります。

 

 

 

 

 

 

しかしながら、現代では多くの女性が

普通に大学進学するようになり、

その役目も終わっています。

 

 

私は、

「国立で女子大学がありながら、

男子大学がないのは逆差別だ」とか、

「受験資格の課題を残してしまうので、

本当の解決策は、お茶の水女子大学が共学

になればいいだけの話だ」、

というようなことまでは思いませんが、

男女共学化議論に繋がることの不都合さに

蓋を閉めようとする姿勢に対して

どうかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

これは、教育においての性差別なので、

電車の女性専用車両の理屈とは、

わけが違います。

 

 

まぁ私は、女性専用車両に関していえば、

以前の記事でも触れたことがあるように、

バカマッチョ、カメリアコンプレックスによる印象操作ってマジ迷惑行為だと思う!

2019年7月20日

 

痴漢防止のための策として、その車両分男性の

選択肢が減ることに、手段と目的のバランスが

悪いという問題視しかないです。

 

 

トイレ、更衣室、温泉などの施設以外

にも、性別で分かれているものは

様々にあります。

 

 

しかし、なぜ性差を設けているかの趣旨

が現代社会にとって時代遅れであれば、

撤廃してもよいのです。

 

 

私は、本当に多様性を拡げていく社会に

なるためには、まるで当たり前のように

設けられている性差について、

そもそも性別で分けないと論じられない

話なのかという疑う視点をもつ意識が

重要だと思います。

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